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沿革

昭和27年 7月 創始者(故)西堀東治が函館市若松町(旧音羽町)に西堀外科開院
昭和39年12月 西堀東治が現在地(函館市中道)に西堀病院開設(96床)
内科 外科 小児科 産婦人科 整形外科を標榜
昭和46年 6月 歯科標榜
昭和47年 5月 「医療法人社団仁生会」に法人化。西堀東治が理事長に就任
昭和60年10月 途中増床を繰り返し197床になる
平成元年 8月 院長に西堀恭治就任。精神科 神経科を標榜
平成2年  6月 新館病棟増築
平成5年 10月 病床再編成(一般病床52床、医療療養型病床134床)
平成7年  4月 「函館市老人介護支援センター中道」開設
      10月 「訪問看護ステーション西堀」開設
平成9年  4月 戸沢求馬が理事長就任 西堀東治が理事長退任、会長就任
平成10年10月 「ホームヘルパーステーション西堀」開設
平成11年 4月 「介護相談センター西堀」「介護用品レンタル西堀」開設
       9月 西堀外科医院閉院
平成12年 4月 病床再編成(一般病床52床、医療療養型病床38床、介護療養型病床96床)
麻酔科標榜 外科 整形外科廃止
平成13年 8月 病床再編成(一般病床52床、介護療養型病床134床)
      10月 西堀恭治が病院長辞任、名誉院長就任
      11月 戸沢求馬理事長が病院長を兼務
平成14年 2月 西堀恭治名誉院長が死去
       3月 特定医療法人となる
平成15年 4月 「デイサービスセンター西堀」開設
       7月 増改築工事終了
      10月 西堀東治会長(初代理事長)が死去
平成18年 3月 「グループホームにしぼり」開設(函館市川原町)
       4月 「函館市地域包括支援センター西堀」開設
       6月 標榜科変更(内科 リハビリテーション科 麻酔科 歯科)
      11月 標榜科変更(内科 リハビリテーション科 麻酔科)
平成19年 2月 戸沢求馬が院長を辞任し理事長専任
小芝章剛が院長に就任    
       3月 「介護相談センターほっとピア西堀」開設
平成20年 8月 病床再編成(一般病床52床(障害者施設等一般病棟52床)、療養病床134床(回復期リハビリテーション病棟42床、介護療養型病床92床))
      10月 標榜科変更 麻酔科廃止(内科 リハビリテーション科を標榜)
      11月 標榜科変更(内科 消化器内科 糖尿病・内分泌内科 リハビリテーション科を標榜)
平成21年 3月 「デイサービスセンター西堀」を廃止
       4月 「通所リハビリテーション」を開始
       9月 「グループホームにしぼり神山」開設(函館市神山)
許可病床数変更(一般病床52床(障害者施設等一般病棟52床)、療養病床116床(回復期リハビリテーション病棟42床、介護療養型病床74床))
「介護相談センター西堀」「介護相談センターほっとピア西堀」「ホームヘルパーステーション西堀」が函館市神山に移転
      10月 増築棟(リハビリテーション室)完成
      11月 病床再編成(一般病床108床(一般病棟48床、障害者施設等一般病棟60床)、療養病床60床(回復期リハビリテーション病棟60床))
病院改修工事終了
標榜科変更(内科 消化器内科 糖尿病・内分泌内科 外科 整形外科 リハビリテーション科)
平成22年 4月 「訪問リハビリテーション西堀」を開設
小芝章剛が理事長に就任、病院長を兼務
戸沢求馬が理事長を退任、会長就任
平成23年 3月 「介護用品レンタル西堀」を廃止
       4月 標榜変更
糖尿病・内分泌内科廃止(内科 消化器内科 循環器内科 外科 整形外科 リハビリテーション科)
平成25年10月 「一般社団法人仁生会にしぼり」設立
平成26年 4月 4事業所(「グループホームにしぼり」「グループホームにしぼり神山」「ホームヘルパーステーション西堀」「介護相談センター西堀」)を一般社団法人仁生会にしぼりに移管
平成26年 9月 社会医療法人 取得
      10月 三浦一志が副院長に昇格(兼診療部長)
橋弘が副院長として着任
肛門内科標榜(内科 循環器内科 消化器内科 肛門内科 外科 整形外科 リハビリテーション科)
平成28年3月 「ホームヘルパーステーション西堀」休止
      4月 「函館市地域包括支援センター神山」開設
平成29年4月 小芝章剛が院長を辞任し理事長専任
橋弘が院長に就任

当院創設者西堀東治の父「西堀藤吉(秋潮)」について

 西堀藤吉は西堀病院の創設者「西堀東治」の父親で、明治17年9月6日に滋賀県愛知(えち)郡西押立村大字勝堂(現在の近江八幡市)に生まれました。明治29年4月、11歳の時に当時江差町で雑貨食料品店を営んでいた長兄亀之助を手伝うために江差に渡ってきました。
 江差で数年間兄を助けた後、札幌の書店に勤め英語、ロシア語などを独学した後、明治41年に弱冠25歳で独立し、函館市末広町に書籍、雑誌、文房具を扱う西堀弘文舎を開業しています。またこの年、 ハナと結婚し、翌42年に長女文子、更に44年に二女房子が生まれています。しかし翌45年3月に幼い子供2人を残してハナが死亡したため、ハナの友人であったタマキと大正2年に再婚し、翌3年に長男東治(当院の創設者)、6年に三女正子が生まれています。
 明治時代に与謝野鉄幹が主宰していた文芸誌に「明星(みょうじょう)」があります。明星は、明治 33年4月から明治41年11月まで刊行されており、明治37年に与謝野晶子が書いた「君死にたまふことなかれ」でも有名です。明星には、与謝野鉄幹・晶子夫妻をはじめ、北原白秋・石川啄木・木下杢太郎など、当時の若手歌人・詩人が多く投稿していました。
 藤吉は、この明星に明治34年に江差から投稿し、鉄幹の審査を受け掲載されています。

ねがわくば神の御袖のかげにして白梅かざし人ののしらむ

 当時、藤吉は17歳という若さでしたが、早くから短歌の才能があったようです。明治35年には明星を発行している東京新詩社の社友として函館支部を立ち上げたり、即興詩洞という文学結社を江差で立ち上げたり、短歌の創作活動や、歌人同士の交流にカを入れていたようです。
 上の短歌が明星に掲載された後、与謝野鉄幹から「秋潮」という雅号が贈られ、それに「荒鷲の一つ飛ぶ方見送りてわが立つ岩に秋の潮寄る」という鉄幹の歌が添えられていたそうです。翌、明治35年10月号の明星には、啄木の歌と並んで次の短歌が「西堀秋潮(江差)」として掲載されています。

歌はなくもをのこの旅は寒からじわかれの袖に君よ太刀舞え

 この当時、「秋潮」は明星に盛んに投稿し、明治40年までの6年間に合計67首が掲載されています。 明星に最後に載った明治40年4月号の詩は

山ぞ泣く涙は寒く垂氷しぬ似るか戀なきわが心にも

 しかし、西堀弘文舎を開業した後は、余り活発な活動はしていなかったようです。
 「秋潮」は、石川啄木とは明星を通して早くから交流があり、啄木の日記には明治37年から40年ごろまで、短歌の先輩として(秋潮は啄木の2歳上)年賀状を送っていた様子が書かれています。啄木と 「秋潮」が初めて顔を会わせるのは明治40年の札幌においてですが、翌41年に、「秋潮」が末広町に 西堀弘文舎を開いた直後に、啄木は店を数回訪れ、その様子を日記に書いています。また、啄木が秋潮から何回かお金を借りたことなども啄木の日記に書かれています。

「秋潮」は息子東治が出征中の昭和20年3月16日に風邪をこじらせ62歳で生涯を閉じています。
 この拙文を書くにあたり、石川啄木の研究者で秋潮のことを以前から調査されていた上ノ国町の北村克夫氏が平成28年2月に出版された「石川啄木と江差―西堀秋潮・藤田武治に関する研究―」や北村氏から頂戴した資料から多くのことを引用させて頂きました。紙面をお借りしてお礼申し上げます。

(秋潮の孫 西堀元朗)